2007/12/19

恋空

2007.12.16 恋空

 監督:今井夏木
 出演:新垣結衣、三浦春馬

 「ガッキー」観てきました。
 原作は少女漫画か? と言うのも「少女残酷物語」をきっちりと伝えたいという意志を受け止めたからです。
 出所はケータイ小説だそうですが、その意志は演出(女性)によるようです。
 このような物語を伝えたい、という気持ちは理解できるのですが、「初恋」「レイプ」「妊娠〜流産」…… といったパズルを組み合わせただけの物語にしか感じられず、どこにも感情移入できぬままにストーリーは転がっていってしまいます。
 読んでないのでこんなこと言ったらしかられるかも知れませんが、原作の軽さを損なわずにすくい取りながらも、吉永小百合さん主演映画のテイストを目指していたのではないか? そんな印象もありますが、決して成功しているとは言えないと思います。
 とは言え、ガッキー自身は「この映画が目指す主題」を信じ切って動き回っていることは伝わってきますし、光る場面もあったことは確かです。
 だから、そんな彼女の肉体から「純」なる精神を感じてくれと言うのでは、演出を放棄していると言わざるをえません。
 褒めたいと思うのは、ケータイの使い方がとても物語になじんでいると感じられたところくらいか……

 「ガッキー」って、新たな「ガキの使いや…」等のキャラかと思っていました。
 可愛いけれど、特徴(売り)がないのでは?
 それにしてもデッカイよね、いまどきの娘っ子は。
 長沢まさみに続く「(体が)大型新人」ということで、今後に期待しましょう。
 そうそう、三浦春馬クンも忘れずに。

2007/10/18

サウスバウンド

2007.10.14 サウスバウンド

 監督:森田芳光
 出演:豊川悦司、天海祐希

 タマには沖縄の風景を見たいと足を運びました。
 沖縄にミスマッチな森田芳光ゆえ、何か偶然でも面白いモノになってくれないか? との期待もチラッとありました。
 しかし、森田の外れはトコトンですから、映画2ヶ月ぶりのわたしにはこたえました……
 「一家揃って西表島に移住」と聞いたのに、どうも西表っぽくない景色と、それを見せようとしない狭いアングル(小さな絵)。
 エンドロールの「協力 今帰仁村」とあり「何だよ本島で撮ったんだ」(看板に偽りあり!)とガッカリ。
 監督には風土への関心は無かったという事のようで(あの人では当たり前か?)、期待した方が間違いであったことを反省しています。

 映画は、数観なきゃ当たりませんからね。これから寒くなって来ますし、もう少し通うようにしませう。

2007/08/07

夕凪の街 桜の国

2007.07.28 夕凪の街 桜の国

 監督:佐々部清
 出演:麻生久美子、田中麗奈、藤村志保、堺正章

 志は素晴らしいと思うのだが、それが結実したかと問われると、首をかしげてしまいます。
 原爆の話しを受け継いでいくことはとても大切なことで、銭湯で火傷を負った人たちばかりであることを示したり、「みんなどうしていいか分からなかった」という、当事者の主観的な心情の表現にも訴える力があると思う。
 原爆の影響は遺伝子にまで及び、それは被害者一族が絶滅するまで広がり続ける、ということがテーマだと思われるが、観客は思い入れしにくかったのではないかと思う。
 それは、殺しても死なないであろう(この文章中においては失言ですね)象徴としての田中麗奈が放つ生命力が強すぎたからではないか、と思うからである。
 物語が進むにつれて「わたしは一人きりになったとしても、絶対に生き残ってやるんだ!」との強い意志を持つ、田中麗奈の存在が引き立っていくべきだと思うのだが、彼女の登場シーンから既にテーマよりも何よりも「なっちゃん自身が放っている生命力」の方が勝ってしまったいた、と思えて仕方ないのです。
 ──この監督下手だよ! ストーリーをなぞっているだけという印象ばかりが残っていますもの。

 麻生久美子の時代に緩衝材的存在を設定して、現代の父親ではない存在に物語の道先案内を任せるとか(父だから言えない事など何もないと、あからさまに全部説明されており、心の動きを感じさせなかったので)、田中麗奈が現在において何か悩みを抱えているくらいの陰を与えないと、あまりにストレート過ぎて「提出前日にやっつけで書いた夏休みの宿題」のように見えてしまうと思います。

 「殺しても死なない」個性派俳優としてなら、田中麗奈は結構いい線いけるかも、と思ってしまいました。
 確かに大人になって、キレイになってきたけど、ファニーフェイス(実に奇妙な顔立ち)には違いなく、これから使われるかも、と言うか観てみたい気がしてきました。
 ──どうも最近、若手女優への評価が変わってきているのは、趣味が変わってきたということなのか? より、オッサン化が進んだのか?

サイドカーに犬

2007.07.21 サイドカーに犬

 監督:根岸吉太郎
 出演:竹内結子、松本花奈、古田新太

 乳歯が抜ける時分(小学四年)の少女が出会った不思議な父の愛人とのひと夏の経験。
 何もかもが幻のようにあっけない時間だったが、そんな刹那に少女は自転車に乗れるようになった。ちょっと遅かったけど、乗れるようになったその夏を振り返ると、キラキラと輝いていたその女性が目に浮かんでくる。
 少女が自我に目覚めるのは、初潮よりも前の変調であるところに早熟化の傾向を見つめる視点がいいと思います(でも変化には、血の印象はつきまとってしまうのか?)

 夜のサイドカーのシーンには、70〜80年代のけだるくも決して後ろ向きではない時代の空気が漂っており、根岸監督のデビュー時代でもあったりするのだが、何であの頃の空気を出せる人は何でみな日活出身なんだろうと思ってしまいました。(神代辰巳、藤田敏八←漢字忘れちゃったよ、情けない… 時は過ぎてゆくー♪)

 竹内結子を初めていいと思いました。
 可愛い子ちゃん、人気女優として扱わなくてよくなった時期の公開だったのもタイミングとして良かったと思われます(髪の毛長かったから、出産前に撮ったのか?)。
 媚びた演技をしてないと言うか、監督が要求していないので彼女も伸び伸びと動けたのではないか、という気がしました。
 先日の松嶋菜々子への驚きと同様、いい女優がいないんじゃなくて、いい女に魅せられる演出家がいないということか、と目から鱗の思いがしました。
 こういう、身近な物語が少なくなってしまいましたね……

2007/07/19

憑神

2007.07.16 憑神(つきがみ)

 監督:降旗康男
 出演:妻夫木聡、西田敏行、香川照之

 こんな娯楽時代劇作りに、だいの大人たちが集まって真剣に遊んでいる姿を思い浮かべたとき「これが文化かも知れない」、そんな豊かさに「大人じゃなきゃできないよな」という老練の魅力を久しぶりに感じさせてもらいました。
 ──ブッキーがヒヨッ子に見えたもの(彼には絶対に勉強になってると思う)。
 浅田次郎原作の枠組みは、結末から組み上げていったのではないか、と想像されます。
 テーマは「日本人によるラストサムライの物語」、そして本来の題名は「死神に惚れられた男(侍)」というもので、そこに疫病神や貧乏神を付加していったのではないか? と思ったりしました。
 仮にそんな具合にバラしたとしても、パーツがそれぞれ魅力的なので再度組み立てられるところが、作家の力量と言えるのではないでしょうか。
──ラストに浅田次郎を登場させても、映画は揺るがないという自信を持っているところがスゴイと思います。

 とにもかくにも、全編から感じられる「遊び心」「軽い空気」を楽しんで観られたことが最大の魅力でしょう。
 これを、今年の1位にしたいと言ったら、ひんしゅくをかってしまうだろうか?

2007/06/19

しゃべれども、しゃべれども

2007.06.17 しゃべれども、しゃべれども

 監督:平山秀幸 脚本:奥寺佐渡子
 出演:国分太一、香里奈、伊東四朗、八千草薫(!)

 コミュニケーションの原点は「話すこと」を軸足に、人間の成長過程を追う主題には好感が持て、とても楽しんで観ることができました。
 こんな王道的なストーリーをエンターテイメントの味付けを加えて、見せてしまうところが「日本映画界のエース!」(個人的見解です)たるゆえんかも知れない(と、またも勝手な思い入れをしてます)。
 実にテンポのいい演出で「当たり前のような風景」を提供してくれ、平山さんお見事! なのですが……
 この人、演技指導的なこと(内面に関して)は得意ではないのかも知れない、と思うところが目につきました。
 国分くんの見てくれ(表に見える部分)には引かれるところあるのですが、心の表情が見えてこなかった印象がありますし、香里奈が浮いていたのは、どうにもならなかったのか? と思ってしまいます。ストーリー的には必要かも知れないが、絵の中では完全に浮いていたというか、意図的に浮かされていたように見受けられました。
 それは、演出意図なのだから仕方ないのかも知れませんが、本作の伊東四朗や、以前の作品での長塚京三、原田美枝子など、技術を持った役者の引き立て方は本当に見事なのに、若手から潜在能力を引き出す力はあまり持ち合わせておられないように見受けられました。(『ターン』の牧瀬里穂だけが特別だったのだろうか?)
 それでも、次回作楽しみにしております。

P.S. 平山さん!
 黒木和雄さん、今村昌平さんに続いて熊井啓さんまでもが去られた日本映画界を、これから背負ってもらわないといけないんですから……

2007/06/05

あしたの私のつくり方

2007.06.03 あしたの私のつくり方

 監督:市川準
 出演:成海璃子

 人は、閉塞感にさいなまれた時、その状況を変えたいと願うが、どう解決されたら満足なのかと考えたとき「自分の理想を思い描き、思い通りの行動ができる」ことを望むと思う。
 それが仮に実現し、閉塞感から解放されたとき、その人は引き戻されるであろう「現実」との対峙を迫られる。
 その折り合いの付け方として、主人公たちに現実をキッチリと受け止めさせ、新たな一歩を踏み出させている本作は、タイトルに対する答えをきちんと映像化していると思える。
 成海璃子は、まだ演技未満とは言え「瑠璃の島」(TV)以来、存在感があってどんな成長を見せてくれるのか楽しみな娘(まだ14歳だって!)です。

 石原良純・真理子の夫婦は「うまくいくわけがない」配役とセリフで、決め打ちしちゃってよかったのか? 観る側には分かりやすいと思うが、定番過ぎやしないだろうかという気がした。

 それにしても、女子の世界(理解不能)は大変そうだということだけは理解できた、気がする……

2007/05/28

眉山

2007.05.27 眉山

 監督:犬童一心
 出演:松嶋菜々子、宮本信子、大沢たかお

 阿波踊りの熱気が、そのまま生きる喜びを爆発させ生命賛歌に昇華しているように思え、涙が止まらなかった。
 参加された連(れん:踊りのグループ)の方々には申し訳ないが、踊りの美しさではなく(輝いていた!)、熱気・情熱に心動かされました。こんなにも大勢の真剣な表情を見たのは久しぶりという気がしました。

 で、恋愛の話しはどうでもよかったんだよねぇ?
 母のためにと生命力の奔流(踊りの波)に身を投じることで、自らのアイデンティティをつかみ取った娘のお話しなんだから。と言いたくなるほど、恋愛部分の印象は弱かった。
 恋愛は過程じゃなく結果(子孫に思いを伝え、自立させること)が大切だと言いたいんだよね?
 それは十分に伝わっていると思います。

 宮本信子自身、吹っ切れたから久しぶりの映画出演なのだろうか?(下世話な話しでスミマセン)とても素敵でした。
 松嶋菜々子の容姿はアップになると奇妙な顔立ちが際だってしまうが、シワやソバカスなどをさらけ出してなお、凜とした表情で自身の姿を見せようとする心意気に、人って肝を据えないと他人の心を動かせないものなのだと感じさせられ、同時にそんな気持ちが伝わってきて、大人になったんだろうなあと心で拍手を送りました。
 監督も、食堂で段ボール破る程度のおふざけで済むようになったのだから、大人になったんだろうなあ……
 一方の大沢たかおは、相変わらずの少年のような演技に見えたのだが、男ってきっとそれでいいのかも知れない、と。
 揚げ足を取るように聞こえるかも知れませんが、これでとても褒めているつもりなのです。
 久しぶりのうれしい気持ちなので、思わず軽口が出てしまったという感じでしょうか。

 これを機に、阿波踊りも頑張らないと、高知のよさこいは全国に飛び火しているからなあ……

 P.S. 映画の中では、山が結構キーになることがあるのですが、この眉山の印象と言えば「山頂の鉄塔やアンテナ」ということになってしまうかなあ、と思います。実際、以前行ったときの印象もそうでした……
 「まだ、足を引っ張るんかい?」
 大丈夫、いいものはいいんだから。

2007/05/21

初雪の恋

2007.05.20 初雪の恋

 監督:ハン・サンヒ
 出演:イ・ジュンギ、宮崎あおい

 韓国向けの京都観光案内映画と思ったら、どうも日本映画らしい。
 それでも、韓国のテレビドラマの域をでていない出来としか思えないのは、韓国へ売り込もうという魂胆なのか?
 はたまた、日本の韓流ファンを鼻で笑ったような制作意図なのか?
 イ・ジュンギは可愛いのだけれど、学芸会レベルでは人の心は動かせない。
 それが目当てのおばちゃん(?)に袋だたきに遭いそう。

 観た理由の一つ、京都ロケ地判別に望んだものの、主たる舞台の 松尾大社は分からなかった。
 東山方面を想定してしまったのは、清水寺界隈に惑わされたか? もっと、ちゃんと見て歩かねば。

 もう一つの理由の宮崎あおい(若手演技派No.1とは言え、ライバルなんかいない)は、20代を迎え(22だそうな)ここから難しそうだと思っていたのだが、もうすでに大人の落ち着きの表現も身につけているようで、まだ期待できそうと感じたのですが、さていかに?

 一夜明けて、京都のロマンチックな状況の余韻だけが頭の中をめぐっていることに、物語の内容はともかくとしても舞台としての装置・環境にはもってこいの場所であることを再認識させられました。
 女性に人気があるのは理解できますが、男こそロマンチックであるべきと思うのですが……

 京都で「国内異文化コミュニケーション会議」「文化博」のようなことをやれたら、面白いのではないだろうか?
 日本人は、文化のルーツは京都・奈良(東京ではない)と思っているはずでしょうし、ガイジンも喜ぶのではないでしょうか。
 映画とは関係ない京都の話しになってしまいました。

2007/05/15

東京タワー オカンとボクと、時々、オトン

2007.05.06 東京タワー オカンとボクと、時々、オトン

 監督:松岡錠司
 出演:オダギリジョー、樹木希林、小林薫、内田也哉子

 堕落的風体である、リリー・フランキーの孝行姿だから涙を誘うのだろう。
 堕落していく青年の姿は、ごくありがちな「なまけもの」程度の描写であっても、リリー・フランキーなら相当ひどかったのだろうと、変な意味での深読みができるところが、奥行きを広げていると思える。(こんな褒め方あり?)
 オダギリジョーがリリー・フランキーを想起させるように、樹木希林を想起させるには娘の内田也哉子(ややこ)をおいて他にはない。見事な配役。

 この映画において、東京(タワー)の存在理由とは何だったのだろうか?
 オトンのタワー建設中の写真や、学問のためという大義名分、夢や仕事を求めて、という展開も理解できるが、それは答えではない。
 オカンは、東京タワーを見たかったのではなく「息子と一緒に暮らしたかった」だけなのであろう。
 オトンと共に一家そろった家族の風景にも、東京タワーは「ライトアップされたボタ山」のような距離感を持って映っている。
 現在東京に暮らす人で、東京タワーに登ったことのない(興味のない)人が多いことは、筑豊のボタ山と同じく「当たり前のように存在している人工物」という、景色のような存在であるからかもしれない。
 詳しい時期は分からないが、双方とも高度成長期と共に高くそびえていったであろうことを踏まえると、昭和の時代の遺物(残骸)として、この映画には登場していたのではないだろうか。

 樹木希林は演技というよりも、自身をさらけ出すことによって存在感を出そうとしているように見えた。
 そこにいるのは演技者であるが、まさしく「樹木希林」以外の何ものでもない姿であったように思う。その圧倒的存在感に涙を誘われた。
 彼女に、何か賞をあげて欲しいと思うのは、わたしだけだろうか?

2007/04/18

アルゼンチンババア

2007.04.01 アルゼンチンババア

 監督:長尾直樹
 出演:役所広司、鈴木京香、堀北真希

 役所広司、鈴木京香というビッグネームを並べられたと言うことは、企画に力があったということでしょうから、原作ってのがかなり魅力的なんだと思われます。しかし、その期待は開巻と共に崩れ去ってしまいました。
 演出の落ち着きの無さと、脚本が子ども(娘)側に寄り過ぎていると感じるのは、自信の無さから生じているのでは、と受け取れてしまった。
 とにもかくにも、アルゼンチンババアが全然生かされていないのは致命的である。
 妖しさや、近寄りがたいくも魅力的な姿に見えないのだ。鈴木京香の「魔女的(?)メイク」とても似合うのに(彼女の整った顔立ちだから栄える)、実にもったいない……
 彼女が踊るタンゴ(アルゼンチン?)も、堀北真希に教えるダンス教室のレッスンのようで、何の色気も感じさせてくれない。
 「情熱」のかけらすら感じさせない人物たちでは、何のための「アルゼンチン」だったのか、と聞いてみたくなる。
 子ども(娘)側に活路を求めたのが、間違いのもとと思う。もっと大人の話にすべきだったのではないか……(原作もそうだったのか?)
 後で、演出が『鉄塔武蔵野線』の監督と知り、はじめから無理があったのではないか、と思ってしまった。
 この監督であれば「鉄塔」をシンボルとしたように、「ババアの洋館」(すごい表現だなあ)の核になる存在を設定しようとしたはずと思えるのだが、それが「石のマンダラ」だとしたら消化不良に終わってしまった気がする。
 「イルカの石像」の情景はとても好きなのだが、取って付けた子供だましのように見えてしまった……

 『アルゼンチンババア』
 なんてインパクトのあるタイトル!
 観に行くぞと期待していたのに、残念……

2007/03/30

バッテリー

2007.03.24 バッテリー

 監督:滝田洋二郎
 出演:林遣都、山田健太、岸谷五朗、天海祐希

 子どもって、こんなにも大変だったのか。
 過ぎ去ってしまったことを忘れたわけではないのだが、「大人はもっと大変なんだ」という言い訳を振りかざして子どもたちを見て、接していることに気付かされた思いがした。
 キャッチャーの天真爛漫な田舎のガキ大将の造形と主人公の弟の明るさが、ピッチャー(主人公)のうっ屈とした空気を振り払ってくれ、とてもいいバランス感だったいたと思う。
 久しぶりに滝田さんの映画を観たが、野球センスを全面に出したキャスティング、細かなボールの握りへのこだわり、主人公の投球フォームとランニングの姿勢(背筋をピンと伸ばしていて型としてとても美しかった)へのこだわり、そしてCG造形の美しい球筋。陰陽師の経験が生きた技なのだと思う。
 女性の原作者が、ここまでの野球賛歌を書き上げたのは驚きだが、それは単なる野球好きなどではなく、瀬戸内少年野球団にも通じる「チームワークを取り戻すための触媒」(ここでは家族)として、必要な題材であったことが伝わってくるところが素晴らしい。それにしても1,000万部(どういう集計?)とは驚きである。
 天海祐希が足を伸ばして寝転がる場面での「開放感」は、まさに監督の狙い通り、役者は体を「有効に」使って表現するものだと納得させられた。

 P.S. 久しぶりに当事者の方へ、ラブレター的なものを書けてホッとしました。

2007/02/18

どろろ

2007.02.17 どろろ

 監督:塩田明彦
 出演:妻夫木聡、柴咲コウ

不毛な会話。
A「参ったなぁ、これじゃまるで漫画の展開じゃないか!」
B「だったら、何を観に来たんだ?」
A「そりゃ、ブッキーとコウちゃんだよ」
B「で、どうだった?」
A「ブッキーはカッコ良かった」
B「コウちゃんは?」
A「いいコンビだと思うんだけど、彼女、あれだけしかできないと思われたら可哀想だよな」
B「それだけ?」
A「魔物をやっつけた時の、復活の儀式がよかった!」
B「気に入ってるんじゃん!」
A「でも、立ちまわりのCGは無理があるよね。やっぱ『雨あがる』だと思うなあ」
B「ほかは?」
A「ブッキー、コウちゃん、瑛太の競演はどこかで見た気がするけど、若い連中では上の部類という評価なんだろうね」
B「じゃあ、満足したんだろ?」
A「やっぱ、『ブラックジャックの診療所』ってのは、いくら手塚治虫でも書かなかっただろうなあ」
B「……」

P.S. スミマセン、何も書けませんでした……

2007/02/12

それでもボクはやってない

2007.02.12 それでもボクはやってない

 監督:周防正行
 出演:加瀬亮、役所広司

 痴漢という切り口は非常に身近な問題であり、物的証拠が見いだしにくい犯罪であるから、余計な思い入れを排除した裁判のあり方を純粋なテーマに出来ると踏んだと思われるが、見る側はそんなことはもう百も承知である。
 「裁判は真実を導くとは限らない」ことも百も承知だし、そのシステムが問題を抱え続けながらも解決できていないことも周知の事実だと思う。しかし「だから、あなた方も痴漢のぬれぎぬを着せられてしまうかも……」という説得の仕方は「犯人をでっち上げたい警察、検察、司法側の視点」なのではないだろうか?
 現実の対策がおかしいことは百も承知で「女性専用車」「女性の近くには立たない」「万が一の場合は、万歳する」ことしか防衛策のない状況の中で、身の潔白を守っているのである。テーマをぶちあげて世論を高め、議論している猶予はないのである。明日にでも、災難が降りかかりかねない状況での生活を強いられている「それでもボクはやってない」われわれなのである。
 身近な事件から問題意識を感じて欲しいとの狙いなら「痴漢撲滅運動」についてのテーマをぶちあげる方が、格段に説得力があると思えるのだが……(裁判というテーマも難しいが、痴漢撲滅も大儀だと思う)
 テンポも良く、ユーモアも効いているのだが、このテーマの前には徒労でしかなかったという印象。上映時間の長さも「裁判進行のイライラ感」のために必要だったのか? としか思えなかった。

2007/02/03

長い散歩

2007.01.27 長い散歩

 監督:奥田瑛二
 出演:緒方拳、高岡早紀

 主人公(緒方拳)と家族(妻と娘)の状況や、「天使」である娘と母(高岡早紀)とその愛人たちが同様に抱える、年齢や状況を越えた「希薄な人間関係」「孤独感」についてじっくりと描くべきで、客観的視点としての刑事(奥田瑛二)の話しはいらないと思うばかりか、単に答えが見つからない言い訳としての「同情の強要」としか映らなかった。
 制作者側が「こういうこと実際にあるんだよ、参ったよなぁ」などとケツをまくってしまってしまっては、観客はただ白けるしかないのではないだろうか?
 ラストの閉塞感はハマッていると思うが、男とは、父親とは「飛び立たせること」「落ちてきたものをしっかり受け止めること」が出来たなら、それでよしとすべきなのだろうか?
 それすら出来ないことが問題であるというテーマも、それを実現するために体を鍛えようとする思考回路も理解できるのだが、「参っちゃうよな」の声が聞こえてくるような気がして、「ため息つくくらいなら、映画なんて作るなよ」と言いたくなってしまった。

2007/01/14

武士の一分

2007.01.14 武士の一分
 スター映画の失敗例の見本となる出来になってしまった。
 皆がキムタクの仕上がりに気を取られるあまり、彼を汚れることのないヒーローに祭り上げてしまっており、観る側も始まった瞬間「彼はヒーローなんだ」と安心してしまい、勧善懲悪の「水戸黄門」を見るような気持ちにさせてしまったのが、根本的な失敗である。
 観る側が望んでいたのは、健康的なイメージのキムタクが映画という世界で、いかに汚れ苦しみもがいて「キムタク、かわいそう!」と思わされる逆境の中からはい上がってくるような姿、なのではあるまいか。
 そこまでおとしめられなかったのは、彼の力不足(映画を支えられない)を悟ったスタッフが、それを補おうとキムタク側に歩み寄ってしまったからであろうことは、演出の甘さを見れば明白である(冷徹さが皆無)。
 それでも成立するスター映画は、作品の出来不出来にかかわらず看板スターが見せ場を作れるから、それを楽しみに人が寄ってくるのである。それすらかなわなかった本作最大の失敗は、木村拓哉が「映画スター」ではなかったということに尽きると思う。

2007/01/04

犬神家の一族

2007.01.04 犬神家の一族
 市川崑さん最後の作品では、オールスターキャストで華やかなものを撮ってもらいたいし、その花道には「金田一耕助の去りゆく姿」こそふさわしい。などとこじつけがましいのですが、無事に新年ロードショー公開を迎えました。
 『切腹』の仲代達也、『木枯らし紋次郎』の中村敦夫、『股旅』の尾藤イサオ等々、往年の市川作品で活躍の面々も駆けつけ、正に大フィナーレにふさわしいにぎわいを呈していました。少々ろれつが回らない御仁も見受けられましたが、本作は作り上げることに意義があると思うので(失礼!)、それこそ声援を送っていました。
 若いころから、崑さんの映画が公開されると喜々として見に行ったものです。テクニックに走りすぎと言われようが、その絵は斬新でカッコイイとしか言いようがありませんでした。ガキの時分、紋次郎を真似ていたのと同じ視線であこがれ続けていたのかも知れません。
 「風の中へ消えていく」紋次郎ではなく、「天から舞い降りてくるかも知れない」金田一耕助の後ろ姿をラストに持ってきたのは、現在の素直な心境なのかも知れません。まぎれもない「ラストシーン」を万感の思いで見送りました。
 崑さん、ありがとうございました。