2009/08/03

真夏の夜の夢

2009.7.30

 監督:中江裕司
 出演:柴本幸、蔵下穂波、平良とみ、照屋政雄

 この監督は『ナビィの恋』で評価を上げたものの、続く『ホテル・ハイビスカス』は、怪作? というアクの強さがあり、入り込めなかった覚えがあります(でもサントラ盤は持っています)。
 しかし本作は、『ホテル〜』以上にすっ飛んでいる印象がありながらも、こちらにも免疫がついたのか、受け止めることが出来たと思います。
 ──その間に観た『白百合クラブ東京へ行く』(石垣島の白保地区に暮らすおじい・おばあたちの楽団の物語で、彼らは沖縄サミットで演奏しました)に心打たれ、細かいことは「許してあげようねぇ」の沖縄的精神が身に付いたのかも知れません。

 毎日新聞のサイトに「筆者は精霊とのつながりがないせいか、何を描きたいのかさっぱり分からなかった。」とありました。
 まさにそこが、本作の評価においての分かれ目になると思っていたので、見事に表現してくれる言葉であると、引用させてもらいました。
 本作のテーマは「人と精霊の共生」「自然に対する畏怖と共生のあり方」になるかと思われます。
 原作はシェークスピアの「真夏の夜の夢」とされ、その物語では森の妖精たちが登場し、さまざまな騒動を巻き起こしていきます。
 ヨーロッパでは夏至の日に、妖精の力が強まり祝祭が開かれる、という言い伝えがあるそうです。
 一方、沖縄地方に精霊として伝えられる「キジムン(キジムナー)」に関しては、季節的な活動について耳にしたことはありません。
 島で暮らす人々にも、神秘的な出来事をそのまま受け止めようとする民族性があるので、沖縄の精霊との方が一緒に暮らしやすそうな気がします。

 沖縄を舞台にした、ウチナー(沖縄人)視点で作られた映画には、唄や演劇を取り込んだ作品が多く見られます。
 沖縄(琉球)は島の連なりですから、立地条件からも島の外に出ることはままならず、楽しみの少ない時代には、それぞれの島で唄や踊り等の芸能が生まれ、伝えられ、それがいわば「島の古文書」になっているのだと思います。
 それゆえ、島の原風景を描こうとしたときには、島に伝わる芸能を描くことになり、それが「ウチナー的な映画」というか、現代の芸能・文化として生まれる(再生される)のだと思われます。
 監督はヤマトンチュー(京都出身→沖縄在住)なので、ウチナーの感覚に近づきたい気持ちがあると思われますが、本作は、結構ウチナー的感性で作られているように感じられました。
 それにしてもこの監督は、おじい・おばあに取り入るのが上手なようで、本作でも沖縄芸能界の重鎮とされる方々がこぞって名を連ねています。
 平良とみ、平良進、吉田妙子、照屋政雄、登川誠仁 等々……
 むかしの琉球言葉である「ウチナーグチ」を伝えていきたいという活動に、賛同してくれる方々なのだろうと思われます。
 そんなセリフには、字幕が表示されます。

 ラスト近くの、山の頂(眼下に森と海を見下ろす場所)で主人公の女性とキジムナーが眠るシーンは、『もののけ姫』のサンとモロ(山犬)が崖下の森を眺める場面の、実写版を目指したと思えるような見事なシーンでした。

 主役の柴本幸(柴俊夫・真野響子夫妻の娘)は、可もなく不可もなくでも、印象に残りました。
 『ホテル・ハイビスカス』で、「じゃりン子チエ」ぶりを発揮した蔵下穂波(ほなみ)ちゃんは、相変わらずエネルギッシュな生命力を体現していて、あのまま大人になったらどうなっちゃうのだろう、と思ったりします。
 ご無沙汰の平良とみさん(TVドラマ「ちゅらさん」のおばあ役)には「ハイサイ、オバア元気ね?」と声を掛けたくなりますし、目が離せませんよねぇ。
 あの方のセリフの抑揚、呼吸、間、見栄の切り方等々、どれをとっても、あの方にしかできない表現力として、観る者を釘付けにします。
 「おばあ」が元気なうちに、もっともっと映画やテレビでその姿を見たいと、切に望んでおります(大ファンです)。

 映画の出来については、褒め言葉があまり見つかりませんが、「楽しい時間を過ごさせてもらい、ありがとうございました」という感想でいいのではないか、と思っています。