2012/10/03

ライク・サムワン・イン・ラブ

2012.9.28

 監督・脚本:アッバス・キアロスタミ
 出演:奥野匡、高梨臨、加瀬亮

 こんな夢「キアロスタミが日本語で映画を撮ったら?」は実現不可能と想像すらしなかったせいか、実際に接した第一印象は「めんどくせー」に尽きる。
 これまでの彼の映画にも「まどろっこしさ」は付きものだったが、それは言葉や習慣の違いから咀嚼(そしゃく)できないものと、理解を放棄するいい訳としていた。
 しかし本作では、いちいち言葉がつまる理由や、あいまいな態度の裏側まで理解できるため、「うんざりできる満足感(?)」がある。
  これまでの作品でもディテールを積み重ねていたことの裏が取れ、とてつもない労力の上に成り立っていることを、初めて納得できた気がする。

 そんな再認識はつまるところ、監督が人々を見つめる視線に引かれる、自身の嗜好(しこう)を再確認させられたわけで、またも見事に術中にはまった印象がある……

 キアロスタミはこれまでも、決して視線が交わらない舞台装置として、自動車の車内を好んで使用してきた。
 『そして人生はつづく』(1992年)では、地震の被災地を訪ね回る心細さをひとりの絵で、『桜桃の味』(97年)では、自殺の手助けを求める主人公とそれを断る助手席との二人の絵を、『トスカーナの贋作』(2010年)では偽物夫婦の並ぶ絵があった。
 本作では、後部座席にも座らせ三人の視線が交わらない構図を生み出している。それは、これまで以上に複雑な人間関係を表現するためとも見えるが、シンプルに受け止めれば「病的な関係」の表現手段であることに気付かされる。
 構図としては、若い娘を奪い合う老人と青年という図式だが、全員がそれぞれに虚像を演じていたとすれば、末路は明白になってくる。

 「好きではない対象」でも観察してしまう自分(好きではない理由を納得したい)でも、決して人間嫌いにはならないことを気付かせてくれた思いがし、自分の中で彼のライブラリのエポック的存在となる気がする。