2011/05/02

トスカーナの贋作

2011.4.29

 監督・脚本:アッバス・キアロスタミ
 出演:ジュリエット・ビノシュ、ウィリアム・シメル

 キアロスタミの映画制作は、イラン国内では難しい状況にあることは耳にしていたが、本作は「表現の自由」を求めて別の国で撮影した最初の映画になる(フランス・イタリア映画)。
 イランはアジアに分類されるが、そんなイスラム圏から眺めたヨーロッパ圏の文化や人の営みの見え方なのだろうと、このけたたましい会話劇を受け止めた(イタリア語、フランス語、英語が交錯することから、ヨーロッパ全域が対象であると推測される)。

 原題は「Copie Conforme:認証された贋作 」で、映画という作り物の世界の中に虚構を作りたがる監督が好みそうな題材である。
 見知らぬ他人を演じていたとしても、他人が夫婦を演じていたとしても、元夫婦という設定であったとしても、愛の贋作は決して作ることはできない、とのテーマのようだ。
 贋作というものは、著名なオリジナル(贋作に対する本物)の持つ「知名度」を利用して利を得るための「手段」とされるが、どんな才能でも唯一実現不可能なのは「愛情」の模倣であり、もしその愛の贋作が完成したとしても、それはオリジナルになるのではあるまいか?
 トスカーナという地には、そんなロマンチックな記憶が刻まれていると、キアロスタミは読み取ったのかも知れない。

 虚実が混じり合う世の中でも、ふとしたしぐさから愛情が感じられ、互いに主張を曲げない言い争いがほほ笑ましく思えたりする、そんな行動こそがオリジナルであり、唯一の自己表現手段なのである。
 愚かとも思える自己表現を貫こうとするロマンチシズムこそが、世界を支える原動力となることを示している。
 終幕はいかようにも受け取れる幕切れだが、わたしは、結婚式でもヒゲを剃らない男が「ヒゲを剃った」ように見えたので、踏み出す決意で画面から消え、それを祝福する鐘の音が響いたと受け止めている。


 ご無沙汰のキアロスタミだが、諸事情から祖国での映画制作が困難となり、タルコフスキー同様に、国外で初めて映画を撮る場がイタリアであることに、この国の(異文化の才能を受け止める)包容力のようなものを改めて感じた気がする。

 ジュリエット・ビノシュのバイタリティというか、飽くなきチャレンジ精神には驚くばかりである。
 ヨーロッパ各国の作品にとどまらず、台湾の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の映画に出演するなど、精力的な活動を続けている。
 1990年当時脂が乗っていた2人、クシシュトフ・キェシロフスキ(ポーランドの監督)と彼女の映画制作を願ったもので、『トリコロール/青の愛』(1994年)実現には驚いたものだが、まさかイランのキアロスタミ映画に彼女が出るとは……
 取り巻く状況から生まれた企画で、彼女からラブコールしていたとしても、この組み合わせは想像できなかった。
 彼女は映画をよく観、愛する「映画ファン」と思われ、そのアンテナの敏感さとその行動力に敬服するし、本作の実現を感謝したい。

 フランスの女優としては、大御所カトリーヌ・ドヌーブに次ぐ存在になりつつあるのではないか(フランス女優には意外と中堅どころが少ない)。
 容姿やオーラでは大御所にかなわないにせよ、真摯に取り組む姿勢で幅を広げようと努力する姿には、女優の先の人間性を目指しているようにも感じられる(本作で、カンヌ国際映画祭 主演女優賞を受賞)。

 次は日本映画にも是非。渡辺謙とは似合いそうに思うのだが……