2007/05/15

東京タワー オカンとボクと、時々、オトン

2007.05.06 東京タワー オカンとボクと、時々、オトン

 監督:松岡錠司
 出演:オダギリジョー、樹木希林、小林薫、内田也哉子

 堕落的風体である、リリー・フランキーの孝行姿だから涙を誘うのだろう。
 堕落していく青年の姿は、ごくありがちな「なまけもの」程度の描写であっても、リリー・フランキーなら相当ひどかったのだろうと、変な意味での深読みができるところが、奥行きを広げていると思える。(こんな褒め方あり?)
 オダギリジョーがリリー・フランキーを想起させるように、樹木希林を想起させるには娘の内田也哉子(ややこ)をおいて他にはない。見事な配役。

 この映画において、東京(タワー)の存在理由とは何だったのだろうか?
 オトンのタワー建設中の写真や、学問のためという大義名分、夢や仕事を求めて、という展開も理解できるが、それは答えではない。
 オカンは、東京タワーを見たかったのではなく「息子と一緒に暮らしたかった」だけなのであろう。
 オトンと共に一家そろった家族の風景にも、東京タワーは「ライトアップされたボタ山」のような距離感を持って映っている。
 現在東京に暮らす人で、東京タワーに登ったことのない(興味のない)人が多いことは、筑豊のボタ山と同じく「当たり前のように存在している人工物」という、景色のような存在であるからかもしれない。
 詳しい時期は分からないが、双方とも高度成長期と共に高くそびえていったであろうことを踏まえると、昭和の時代の遺物(残骸)として、この映画には登場していたのではないだろうか。

 樹木希林は演技というよりも、自身をさらけ出すことによって存在感を出そうとしているように見えた。
 そこにいるのは演技者であるが、まさしく「樹木希林」以外の何ものでもない姿であったように思う。その圧倒的存在感に涙を誘われた。
 彼女に、何か賞をあげて欲しいと思うのは、わたしだけだろうか?

0 件のコメント: