2008/11/30

ブタがいた教室

2008.11.28

 監督:前田哲
 出演:妻夫木聡と26人の子どもたち

 「そもそも、なぜ学校でブタを飼う必要があるの?」(実話で、テレビでもドキュメント等が放映されたそうですが、知りませんでした)
 PTA会合の場でそんな話しをしたなら、即刻却下されるであろう提案を、クラスの合意として子どもたちは受け入れます。
 その「みんなで決めた」という前提がなければ、この物語は成立しません。
 「みんなで育てて、みんなで食べよう」と提案した教師は、「ブタを体でドーンと感じる」「生き物を育てること」「自分たちの食べ物」についてみんなで考えるつもりが、ブタと子どもたちと一緒に生きることになります。
 それは別れがあることを意味しています。
 この作品の評価されるべき点は、「残飯をあさる」「帰宅した子どもが臭い」「ブタの世話のために学校へ行く」等、周辺部のエピソードを短く処理し、クラス全員で育ててきたブタとの別れ方について、子どもたち全員で思い、悩み、討論する姿を延々ととらえ続けたところにあると思います。
 子どもたちの意見に対して「正しい」「間違い」ではなく、「真剣に考えている姿勢」を受け止めるべきではないかと、ここは演出ではなく子どもたちの懸命な態度にこころ打たれます。
 最後の最後まで、きちんと子どもたちの行動によって収拾を付けさせようとする教育者の姿勢もまたとても大切なことであるし、「自己責任」と「他人への落とし前(失敗や無礼等の後始末)」そして「ブタ(生き物)に対する思い」を、自分たちで決断し、納得していく子どもたちにとって、大きなテーゼとなっていたことが伝わってきます。
 わたしも含め、生き物を育てる等の経験が無いままに「おいしければ手放しでよろこび」「腹が減っては…」と、生きるための燃料としか感じていない大人たちこそが、向き合うべき問題であることに気付かせてくれます。
 子どもを理解するには(大人同士も同じはず)、共に考え、悩むことでしか気持ちは通じないであろうし、教育とはそういう場を提供してそこに一緒に参加することであろうこと(ホント、社会も一緒)、こころに響きました。
 そして、考えて、泣いて、悩みぬいた末に「先生!」と、すがるようなまなざしで頼られたとき、大人たちはその気持ちを受け止めてやる度量を持ち合わせている必要があります。
 わたしの錯覚であれば(期間をおかずに撮影していたならば)きっと最高の褒め言葉になると思われますが、映画の最後で子どもたちが成長しているように見受けられたのは、演出の勝利と言えるのではないでしょうか。
 ラストもきちんと26人全員登場させたのも拍手です(数えちゃいました)。

 熱血学園モノでないだけに(問題は「ブタ」だけ)、発散できる場面(見せ場)の無い役どころながら、ブッキーは落ち着いて好感度をアピールしていました。来年は大河ドラマに期待しています。
 26人の子どもたちに何か賞をあげたいと思うくらい、泣かされました……
 作劇でよく耳にする言葉は、こうでしたっけ?
 「ブタと子どもにはかなわない」。

2008/11/24

櫻の園 ─さくらのその─

2008.11.21

 監督:中原俊
 出演:福田沙紀、寺島咲、杏、はねゆり
   (覚えられそうもないので、出演者のメモとして並べました)

 『櫻の園』(同じ中原俊監督)と言えば、1990年公開(そんな昔になるの?)の、中島ひろ子、白島靖代、つみきみほたちの姿がとても印象に残るもので、ひらたくいってしまうと「女子高の学芸会顚末記」なのですが、「これから女を磨くのよ」というような、開きかけの桜のつぼみのような趣があったと思われる(勝手にね)、春のまどろみのような作品だった印象があります。
 最近テレビで、すっかりしあわせ体型(でしたっけ?)になった中島ひろ子に驚き、まばたきして確認し直したこともあって、今回の映画が気になったようなところがあります。
 18年がたち、主役の3人はいま? と調べてみると、みんな結婚して、中島ひろ子はテレビ・映画で活躍中、白島靖代はプロ野球ヤクルトの土橋と結婚したって?(活動休止中)、つみきみほは舞台中心に活躍中で、皆さん花を咲かせているようです。
 でもさぁ、出来の良かった作品の二番煎じに満足することは少ないんだから、よせばいいのに〜♪(古い?) ねぇ。
 ──助監督の欄に、冨樫森(『ごめん』監督)、篠原哲雄(『深呼吸の必要』監督)の名前がありました。へぇー!

 制作者側は、リメイクではなく「リ・イメージ」として新作に望んだといいますが、再挑戦した意図すら伝わってきませんでした。
 前作では思春期周辺の「反抗心」であったものを、現代向けの「行動力」としたかったであろう気持ちは理解できますが、ゲームじゃないんだから、立ち向かっていく姿勢を示せば、若さがはじけるとでも思ったのだろうか?
 紙で桜吹雪を演出し「もいちど花を咲かせましょう!」と胸を張りたいようですが、彼女たち自身の花が咲きそうに見えてきません。
 ラストの記念撮影のシーンが本作にも登場するのですが、前作には遠く及びません。
 前作はあんなにも素晴らしかったのに… と、消化不良を起こしたので、翌日レンタルで旧作を見直しました。
 次回は「あれから20年」(30年ではキツそうなので)あたりで、中島ひろ子たちの『櫻の園─同窓会』的な展開をみせてもらいたいと、思ったりもします。
 「でも、衣装どうするのよ?」となるのも困るので…… 失礼しました。

2008/11/14

夢のまにまに

2008.11.11

 監督:木村威夫
 出演:長門裕之、有馬稲子、宮沢りえ

 映画美術の重鎮である木村威夫さんが、90歳にして初めてメガホンを取ると聞いて、それを無視できる日本映画ファンはおるまい(I think so.)。
 しかし何がそうさせたのだろうか?
 戦争を経験した映画屋の使命感と言うのか、自分の表現で戦争を語らずに現場を離れることはできなかった、ということではあるまいか。
 社会が病んでいた時代といえる戦時中と、人間が病んでしまう時代といえる現代が、監督自身が最も恨めしく感じていたと思われる「青春時代の喪失感」に焦点を当てて、平行して描かれていきます。
 生き残った人々は、がれきの上でも根を張り成長していく樹木のような生命力を持ってはいるものの、傷ついた樹皮に消えることなく残り続ける「こぶ」のように、かけがえのないものを心からえぐり取られた傷跡を背負って生き続けていくしかない、と言うかのような痛みが伝わってきます。
 語り口は、タイトルのようにとりとめはないものの、主観の定まった散文のようで、とても映画らしい表現と思います。

 映画の美術監督とは、スクリーンに映し出される空間を作る仕事で、ジブリ作品の背景画を描いている男鹿和雄さんのような方、といえば通じるか?
 木村さんの場合は、ちょっと誇張が過ぎていたり、シュールだったりするのが特徴で、何といっても鈴木清順監督と組むと、歌舞伎の舞台セットか? と思うほどかぶいたり(奇抜)しちゃうのですが、もうそこに視線が釘付けで、目が点ですから、一度観たら忘れられなくなってしまいす。
 1972年に日活を辞めてフリーとなってからは、熊井啓、黒木和雄両監督をはじめ、時代を代表する監督の作品を手がけており、ちょうどわたしが映画を観はじめたころと重なり、木村美術を観て育ったと言っても過言ではない気がします。
 お元気でご活躍されますことを!

2008/11/08

その日のまえに

2008.11.6

 監督:大林宣彦
 出演:南原清隆、永作博美

 角川映画+大林宣彦監督作品、そして「A MOVIE」で始まるといえば、昔からのファンは胸騒ぎがしてくるのではないだろうか。
 ご察しの通り「泣ける小説」として評価が高い(らしい)重松清の原作を、大林ファンタジーにしてくれちゃいました。
 オープニングクレジットの脚本の下に「撮影台本」とありました。
 目にした瞬間「やっちまったかな?」と苦笑い。
 この1行でこの作品の感想は伝わったことになってしまいます。
 (これは、撮影現場での思いつきなどで、脚本を無視した大幅な改編を行ってしまったことを意味します。いい方に転べばいいのですが……)
 現場でやりすぎた反省からクレジットを出したのかも知れません……

 原作に引かれて観に来たお客さんは、きっととまどったのではないでしょうか。
 本人と家族が「その日のまえに」抱く不安感を少しでも軽減することは可能なのか?
 そして、残されたものが「その日のあとに」現実を受け入れて生きていく姿から、勇気を分けてもらうために観に来たお客さんに対して(みなさん『おくりびと』を期待している時節でタイミングが悪かった)、「映画はファンタジーです」と言われたのでは、そりゃ怒りますよ。
 それが、角川映画+「A MOVIE」であると言うならば、大林健在の証明とでも言うのか、今後に期待しちゃうのですが……

 宮沢賢治の世界との融合を目指したかったようですが、それはそれで別の機会にゆっくりとやってもらいたいと思うのですが、そんな機会自体が減ってきているのだろうか?
 まだ、70歳ですもん。応援していますよ!

 P.S. この前に『容疑者Xの献身』を観ちゃったのですが、コメントは控えさせていただきました。