2008.8.14
監督:廣木隆一
出演:石橋杏奈、北浦愛
友だち付き合いを問題なくこなせる少年少女などはいるはずもなく、みんな悩み、もがき、ぎこちない会話などから相手を理解する糸口をたぐりはじめるのではあるまいか。
そのありようは十人十色、人の数だけ多様であると思われるが、そのどれもがとても慈しむべき大切な「心のありよう」であることは間違いない。
本作には、関連を持つ複数の登場人物たちが「個」から「和」を築く時の、痛みを伴いながらもまぶしいエピソードを生みだす「心の葛藤」の数々が集められている。
それはあまりにも不器用で振り返った時に、自分でも恥ずかしく思えるかも知れないが、輝かしい苦闘の成果であり無駄なものなどはなく、みな大切にすべき「心の痛み」であると思える。
そんなさまざまなエピソードが、運動場の観覧席を舞台の踊り場として、人物とその心の機微が交錯し苦悩が織りなされる「思春期群像劇」としてまとめあげられている。
しかし、登場人物が持つそれぞれテーマについての感銘は確かに受けるのだが、普遍性については少し疑問が感じられた。
それはおそらく、原作にはもっと多くのエピソードがつづられているものから映画化に際して絞り込んだ結果ではないかと思われる。
より広く深い共感を味わいたいと、原作を読んでみたい気持ちにさせられ本屋に立ち寄った。「友だち」を作るための、ひいては現代を生きる少年少女たちの苦悩をひとつでも多くこころに響かせたいとの思いからだと思う。
タイプは違うと思うが、昨年公開の『バッテリー』に続き、少年少女を題材としたいい作品に出会えてうれしいというか、時代ごとにこの手の作品が必要であることを、思い知らされた。
友だち付き合いがうまくできない少年少女たちの「何で友だちが必要なの?」の疑問に対する提案として、先輩の立場から常に示していくべきテーマではないだろうか。
可能性とは、そんな積み重ねがあってようやく見いだせるものかも知れない。
監督の廣木隆一は『800 TWO LAP RUNNERS』と本作で足の不自由な少女を、『機関車先生』では話すことができない男性教諭を描いているが、障害がある者からこそ純粋さが語られる、との主張なのだろうか。
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