2008/07/23

歩いても 歩いても

2008.7.18

 監督:是枝裕和
 出演:阿部寛、夏川結衣、YOU、樹木希林、原田芳雄

 亡き息子の命日、実家に集う家族たちをもてなすため、台所での下ごしらえの手際がつづられる絵に、家を取り仕切ってきた母の声(樹木希林)と、現代風な中年主婦で割り切りを心得た娘(YOU)の会話がけたたましく続いていく。
 久しぶりと思われる母娘の会話は、本来ならば心情の交歓などが多少はあってもしかるべきと思うところだが、この会話にはまるで接点が無く、それぞれが自己の思惑を語っているところに、とてもリアルさが感じられる。
 外野からは、そんな会話でよく事が運ぶものだと思えるのだが、当人たちにすれば「そんなことお互い分かっていることでしょ!」と「ツー・カー」でいるつもりになっている。
 家族なのだからお互いのことを「よく知っている」のは当たり前であっても、それぞれがどんな思いを胸に秘めている(考えている)のかは、いくら家族であっても知り得ないというのが「家族の実態」なのではないか? と問いかけられているような気がしてくる。
 好意的に理解しようとしていた家族から、想像もしなかったある種残酷な本音を聞かされ、拒絶反応を示しとまどいながらも、共に食卓を囲んで食事をするのが「家族の実態」ではあるまいかと。
 それは単なる食「欲」であるのかも知れないが、現代ではそれをも拒絶しようとする「家族の実態」もあると耳にする。
 ──食事でしか家族はひとつになれないのではあるまいか? それは、小津さんの映画にまでさかのぼることになるが、すでにそこには「真理」が語られていたことに改めて気付かされる。

 乳幼児のころから世話をしてくれた親に対して「何も分かっちゃいないじゃないか!」の意識が芽生えてもそれは当然である。
 「昔からずっと成長を見てきた」親であっても、それ以上のことを「他人(自己でないという意味)」に求めることはできないのではないだろうか。
 親からしても、自分の期待を押しつけることができないように……
 家族という血縁等のつながりがあるとはいえ、それぞれが独立した「自己」を持つ存在の集団なのだから、各人の意識無くしてまとまりなどは望めないものなのではないか? という問いかけのようにも感じられる。
 「理解し合えているというのは妄想である。しかし、互いを尊重しあえることで家族は成立する」とでも言うかのように……

 「歩いても 歩いても」近づくことができない家族ではあるけれど、離れることもできない存在なのではないか。
 ということが、テーマであると同時に願望なのではないか、という気がした。


 タイトルが「ブルーライトヨコハマ 」からきているとはちょっと意表を突かれました。
 ──歌詞を調べて納得したがるなど、なんてまじめな観客なんだろう……

 是枝監督からはどちらかというと静かな画面を想起するが、YOUのけたたましいセリフのリズム感というものが騒音にならないと言うか気にならないのは、きっと相性の良さなのだと思わされた。

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