2014/10/27

ふしぎな岬の物語

2014.10.14

 監督:成島出
 出演:吉永小百合、阿部寛、笑福亭鶴瓶、竹内結子

 吉永さん初プロデュース作品が発した「さゆりカラー」は見事で、彼女が映画に抱く世界観や心根に接した瞬間、「扉が開かれた」と響いたことが最大の収穫であろう。

 タイトルから観客は、寓話の楽しみと多少ベタつく潮っけを覚悟して席に着くが、吉永さんではなく、阿部寛のはみ出した活躍(?)により物語に取り込まれていく。
 阿部寛(近ごろは脱ぐのが仕事?)は得な役柄だが、体格の生かし方が上手になった。
 笑福亭鶴瓶が演じる、気は優しいが「スケベ心」がにじみ出てしまう「不器用な男」は、高倉健さんとは正反対のキャラクター(女性にはカワイイ存在)として存在感はあるが、彼は果たして演じているのだろうか?(彼の存在で画面がなごむのは確か)
 心の振幅を表に出さない吉永さんの持ち味は、亡き夫の影を隠すことで観客から「美しすぎる思い出」の妄想を引き出そうとする演出により、増幅されていく。

 本作が、吉永プロデュースの「映画作りますよ〜!」のかけ声に、「その指にとまりたい!」団塊世代のオヤジたちとの、初めの一歩のきっかけになって欲しいと願う。
 本作に関わる岡田裕介氏(映画プロデューサー、東映代表取締役会長)は、『赤頭巾ちゃん気をつけて』(1970年)等の俳優時代から吉永さんとは旧知の仲(裕介クンとか呼ばれそう)で、彼女の映画を支えてきたが、本当の意味で一肌脱ぐ時が来たのではないか。
 映画企画のキモは「夢の共有感」であり本作のように、吉永さんの「思い」に人々が集うための環境整備に汗をかいて、東映出演作を増やしていくべきであろう。

 これまでよりも、映画に一歩踏み込んだ吉永さんの姿勢には、勝手な思い込みだが、今後「さゆりプロデュース」を重ねる中から、「映画人 吉永小百合」らしい傑作映画が生まれる可能性を感じる(個人的には確信している)ので、業界の「サユリスト」たちは彼女が熱いうちに共同作業で「心からの汗」をかき、本望をとげるべきではないだろうか。
 わたしも「サユリスト」の一人として、手伝えることがあればと……


追記──もう一人の「映画スター」にもエールを!

 東映育ちの高倉健さんは、裕介氏の父 岡田茂氏との険悪な関係から「岡田さんのぼっちゃんの世話には……」となりそうだが、観客から待ち望まれている映画スターを生かせないことは、プロデューサーの力不足に他ならない。
 早期の次回作を! と、80歳を過ぎた方に求めるのは酷でも、また「背負ってもらいたい」と、わがままな観客は願っています……

2014/08/18

2つ目の窓

2014.8.14

 監督・脚本:河瀬直美
 出演:村上虹郎、吉永淳、杉本哲太、松田美由紀、常田富士男

 奄美・琉球に現代も息づく神と人をつなぐユタ(女性)と、アグレッシブな女性を描いてきた河瀬監督の出会いに期待を抱いたのだが……

 主人公の若い二人が自転車で疾走するシーンの爽快感は『キッズ・リターン』『魔女の宅急便』を想起させ、ヒロイン吉永淳の泳ぐ姿と島唄のうまさに目を奪われた。
 ダイビングが趣味である彼女の、着衣での舞うような潜りは「島のマーメイド」であり、吹奏楽部の経験からか堂々とした島唄も見事で、「島のヒロイン」としては絶好の素材であるが、「新たなユタの誕生」ではなく、島の一女性の成長として描こうとする。
 その選択は監督らしく、現在も奄美の生活は自然の一部を間借りして営まれるも、「ここで生きているのは自分たち」という、人間本位的な視点が強く感じられる。
 これまでの文化や生活を否定する意図は無いも「一歩踏み出す姿勢」を訴えるためか、監督は「自然への畏怖(いふ)」についてセリフで説明してしまう。
 分かりやすさといえ、島の高校生に対する言葉としては野暮で、観る側は軽んじられたとシラケてしまう(場内のシラケた空気を久しぶりに味わった)。
 観客の持つイメージを裏切った(シラケさせた)状況から、少女が飛び立つことを描きたかったのではと思うが、本作での女性の積極的行動には「答えを欲しがる焦り」という、都会のキャリアウーマンに通じる印象が強く感じられた。
 それは過酷な環境で生きる女性たちへのエールで、島(日本)で生活する女性への「模索して踏み出すべし」のメッセージとも受け止められるが……

 ニライカナイ(海のかなたにあるとされる異界)に至らない監督の意志の強さは理解するも、海のない奈良県出身の監督は、海に囲まれた奄美の精神風土を消化できているとは感じられなかった。
 今回の事前合宿は楽しいものだったのだろうか?

2014/02/24

小さいおうち

2014.2.11

 監督:山田洋次
 脚本:山田洋次、平松恵美子
 原作:中島京子
 音楽:久石譲
 出演:黒木華、倍賞千恵子、松たか子、吉岡秀隆、妻夫木聡

 原作の設定としても、戦前という時代背景に昭和モダンの象徴として洋風建築の「小さいおうち」を据えた舞台設定こそが、本作成功の重要なキーと思えた。

 前作『東京家族』は小津安二郎監督へのオマージュであるも、両監督間にある大きな溝を再認識するものとなった。
 前作とは無関係に見える本作だが、小津さんが生きた時代を描くためか、小津作品を手本としたようなセリフ回しに聞こえるにつれ、作家の精神というものが重なるような思いが高まってくる。
 山田監督と共同脚本の平松氏にとって、昭和モダンのイメージ=小津安二郎だったのではないかと思え、ドラマの起伏を作りたがる監督に「忍ぶ物語」を作らせたのは、小津さんの生き様が影響したのではないか、と思いたくなる。
 小津さんが描いた様々な「昭和モダン」は庶民のあこがれであっても、その視点には「ひがみ」「ねたみ」も込められていた。
 一方の山田監督は、それを「ありがたく、楽しげに」描くと共に、当時の国民は「国威発情」に積極的ではなかったとアピールするモデルを、小津さんの姿に重ねたのではあるまいか?
 生きる時代が違うため同じテーマ設定は難しいこともあり、戦争の時代を生きた人物の思いを回想して終わる物語には、監督の「小津のオヤジはきっとこう生きたのでは?」の思いが込めらているように感じ、小津監督へのアンサーとなる成功作と思う。

 ベルリン国際映画祭で主演女優賞を受賞した、黒木華(はる)の抑えめの演技は時代を表現し心地よく、唯一のアクション(自主的行動)で存在感を発揮する姿は、当時の女性表現には的確な演出と思われとても引かれた。
 好きではなかった松たか子に注目できたのは、ただ「奔放に生きる」のではなく、理性を持ちながら本能と葛藤する女性を演じたことによるのだろう(当時の人々もみな人生を謳歌しようとしていたはず)。
 妻夫木聡の若者が「学んだ歴史観」と、倍賞さんが当時「体験」したギャップから史実を立体視することは重要で、語り部側の記憶(人物)が失われるというテーマは、いつの時代にも共通する問題だが、現実に直面する時を迎えつつある……

 倍賞さんと山田監督はまさに「家族同様」らしく、楽しそうな倍賞さんを目にできたことがとてもうれしく、もっともっと観せてもらいたい!
 久石譲の音楽は、倍賞さんが声で出演した『ハウルの動く城』へのオマージュのように聴こえ(似てると感じ)、何ともチャーミング!