2009.9.29
監督・脚本:是枝裕和
出演:ペ・ドゥナ
空気人形とは、空気で膨らます人間の形をした人形で、その役割は
「わたしは空気人形。性欲処理の代用品」
というものになります。
日本映画のそのような役柄であるにもかかわらず、韓国の女優であるペ・ドゥナがよく出演を決断したものだ、と驚かされました。
空気人形が「心を持つ」物語において、無垢(むく)な存在の言葉が、たどたどしい日本語であることは、とても大きな要素であることは確かです。
──むかしの映画『田園に死す』(1974年 監督:寺山修二)には、「空気女」(春川ますみ )という見せ物小屋の人気者がいたりしましたが、それは寺山修二の創作による哀れな存在であったと思います。
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ダッチワイフの語源となるダッチ(Dutch)には、オランダを蔑視(べっし)する意味があるそうです。
植民地時代の商売敵であるイギリス人やアメリカ人が悪口として、「Dutch Wife(オランダ風妻)」として呼んだという説があるそうで、現在では「Sex Doll」と呼ばれるそうです。
監督が説明に使っていたラブドールを調べてみたのですが、これは風船ではなく、豊胸等に使用されるシリコーンで作られた人形になるそうなので、柔らかなマネキン人形のイメージでしょうか。
その辺りはあまり掘り下げないつもりだったのですが、世界的にもかなりディープな世界が広がっているようで驚きました。
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「中身が空っぽな存在(人間)を同類と認識する意識」「日差しによる陰が透き通ってしまう造形」「息を吹き込まれるエクスタシー」等々の腐心は見事です。
そんな情景描写の積み重ねの部分では、昨年亡くなった市川準(じゅん:『病院で死ぬということ』等の監督)さんを想起させられ、また、苦悩の決断によるその選択について、こちらが思いをめぐらする部分では、こちらも亡くなられた相米慎二(『台風クラブ』等の監督)さんが想起させられました。
おそらく、狙っていた場面は思い通りに撮れていても、ファンタジーとしての着地点を模索していたように思えました。
韓国映画のような散り方にも感じられますし、中身は空のラムネの瓶でも「向こう側の景色はぼやけてしか見えない」ところが、日本映画的であるとも言える気がします。
批判と取られそうなことを書きましたが、本作はとても「映画らしい作品」だと思います。
作り手側の苦悩・奮闘ぶりを感じさせてくれる部分が、とても映画らしいのではないか、と思われた作品です。
韓国国民の感情を逆なでして、国際問題の火種にならないようにと、最後まで腐心されていたのではないでしょうか。それはまさに「チャレンジ精神」と言えるかも知れません。
ビニールの接合部分の跡を化粧で消してもらうシーン等には、ペ・ドゥナの素顔が出ているようにも思えたので、彼女自身にも満足感はあったのではないだろうか。
撮影の李屏賓(リー・ピンビン)は、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)や王家衛(ウォン・カーウァイ)の作品を手がけた方です。
出番は少ないにしても脇役陣の押さえ方は、構成力によるものと思います。
是枝裕和作品には、『幻の光』『誰も知らない』『歩いても 歩いても』等があります。
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