2009.7.23
原作・監督・脚本:西川美和
出演:笑福亭鶴瓶、瑛太、余貴美子、香川照之、八千草薫
心やさしい詐欺師の物語、とでも言うのでしょうか?
テーマとしては、社会派と言えるほど骨格のしっかりした問題提起なのですが、パンチ力不足という気がしました。
笑福亭鶴瓶を主役に決めた時点で、腹をくくった面があるように思われます。
彼の演じる人物像は、周囲から愛され人の心を和ませる力を持っているものの、その反面、輪郭のぼけ足が長いため、物語にグラデーションがかかってしまい、テーマの毒性も薄まった印象があります。
医師資格を詐称して、偽医師になりすました側も確かに悪いのですが、過疎地に暮らす住民(ほとんど老人)たちにとっても、親身な言葉をかけてくれる「存在」(偽医師でも誰でもいい)は、徐々に心の支えとなっていきます。
村の人たちは彼が偽医者であることを知りながら、彼を祭り上げることで彼の「良心」にすがってきた、と受け止められる面もあります。
それはあたかも「貴方は医者の役なんだから、その役を演じきる義務がある」と、圧力をかけているようにも思えます。
偽医者は、その期待に応えるための努力により、多くの患者たちを救っていくことになります。
村民が求めているのは、医師の資格や最新の医療技術ではなく、親身になって患者の心と体に向き合ってくれる「存在」であるということは、とてもよく理解できます。
改めて「社会」とは何かと調べてみれば、
「人間の共同生活の総称。人間の集団としての営みや組織的な営み」(Yahoo辞書大辞泉より引用)とあります。
それを踏まえるとこのケースにおける、患者の「要請」→偽医者の「処置」→患者の「回復〜感謝」→偽医者への「報酬」という共同生活の営みは、範囲は狭くとも「社会」として成り立っているように思われます。
本作は寓話でしかありませんが、患者さんたちが求めている医療とは、高度な医療技術うんぬん以前に重要な、人間同士の信頼関係(社会活動の成立)なのではないか、という問題提起を、タイトルの「ディア・ドクター」に込めて、世のお医者さん方に発信しているように受け止められました。
笑福亭鶴瓶という人は商売柄、人を笑わせたり、和ませたりすることに関しては、とても素晴らしい容姿や雰囲気を醸し出しますが、困った表情に関しては、こちらも困ってしまう不器用さが感じられました(演出の要望かも知れません)。
──おそらく、目の表情が出来ないんでしょうね(目は小さいんや、ほっといてくれ! とか言われそう)。TVドラマの「ブラックジャックによろしく」から、とても好感を持っています。
本作で最も印象に残ったのは、もちろん八千草薫さん!
あのお年まで(78?)「可愛らしさ」を感じさせてくれる姿には、男女を問わずあこがれるのではないでしょうか。
出演者の項に名前を並べた方々は、皆さんとても印象に残っています。
演出は、もっとズバッと行ってよかったのではないだろうか……
2009/07/02
剣岳 点の記
2009.6.30
監督:木村大作
出演:浅野忠信、香川照之、宮﨑あおい、仲村トオル
CGは使っていないと、野生的カメラマンの印象がある木村大作さん(初監督)が豪語しているのですから、撮影は大変な苦行だったことと思われます。
確かに景色などの映像は、それは見事で、役者さんの立ち位置にしても、観ている方が怖くなりますし、カメラ位置を想像すると、よくもそんな場所に機材を持って上がったものだ、と恐れ入ってしまいます。
しかし映画とは「どう? スゴイ絵でしょ!」だけでは、観る者の心を動かすことはできません。
──木村さんは、黒澤明監督作品『用心棒』でのピント合わせで、黒沢さんをうならせたそうです。「大ちゃん」と呼ばれていた印象があるのですが、それは黒沢さんに呼ばれていたようです。何でもいっときはテレビによく出ていたそうですが、毒舌が不評で降ろされたとか。詳細は分かりませんが、そんな大口から実現した作品なのかも知れません。
開巻に重厚さを感じる作品は久しぶり、と思っていたら客席から「東映(配給)なんだ」の声が聞こえました。
せっかくの骨太な企画ですから(政府が語るのは骨抜きの方針)、東映縁故の実力派監督のツテを頼って、もうワンランク上を目指してじっくりと作ってもらいたかった気もしますが、「ちょっと、山登りは……」等の問題があったのかも知れません……
まあ東映としては将来、宮﨑あおいに「なめたらあかんぜよ!」等と言わせるため、極道の道への勧誘程度に考えているのかも知れません(これ怒られるかなぁ?)。
彼女がどアップの長いシーンがあるのですが、彼女の表情は揺るがない(自信に満ちている)まま続くので、頬に目が移り「あれは、できものか?」と無関係な部分に関心が向いていまうほど、魅入っておりました(褒め言葉のつもりです)。
舞台となる剣岳から「富士山が見えるんだ」(素晴らしい光景)という感慨はありましたし、原作者新田次郎の小説『富士山頂』へのオマージュであれば理解できるところですが、「富士山の姿はここからも素晴らしい」と、見せる必要性があるのだろうか? と疑問に思いました。
富士山は日本人の心の支えのひとつであり、本作は日本賛歌であるとの見解であれば反論はできませんが、ちと古いんじゃないだろうか……
「点の記」というものを知っている方は、ほとんどおられないでしょう。
山の頂上などに設置されている「三角点」(国内を網羅する位置情報を定めた標識)の石柱は、その地域に大規模な建造物等を造る工事等の位置情報(緯度・経度・高度等の座標情報)の「基準」とされます。
点の記(点とは三角点)には、その三角点設置の経緯および、日付、従事者名や、場所の詳細見取図等も含まれます。
測量業務においては、現場周辺にある三角点の点の記の写しを必ず持って出かけます。
見晴らしのいい山の頂上付近にあればいいのですが、現地の状況によっては見つけにくい場所にある場合もあるので、点の記は必需品になります。
映画の感想文の中でこんな事を書いては失礼になりますが、こういった題材を小説にしてきた新田次郎さんの心意気に、こちらの心が震わされる思いがしたので、再読してみたいと思っています。
TVCMではありませんが、現代の日本人が見失ってしまったものは、まだ新田さんの小説の中に息づいていると思います。
追記──原作を読みました。高校生時分だったか、新田次郎さんの本を読んでいた頃に感じた、山男たちのすがすがしさ、カッコ良さ、男らしさにあこがれた気持ちが、よみがえってきました。
原作の素晴らしさを感じながらも、読みながら映画の素晴らしい景色を思い起こしていました。
双方が混然となって、記憶に残っていくのだろうと思われました。
監督:木村大作
出演:浅野忠信、香川照之、宮﨑あおい、仲村トオル
CGは使っていないと、野生的カメラマンの印象がある木村大作さん(初監督)が豪語しているのですから、撮影は大変な苦行だったことと思われます。
確かに景色などの映像は、それは見事で、役者さんの立ち位置にしても、観ている方が怖くなりますし、カメラ位置を想像すると、よくもそんな場所に機材を持って上がったものだ、と恐れ入ってしまいます。
しかし映画とは「どう? スゴイ絵でしょ!」だけでは、観る者の心を動かすことはできません。
──木村さんは、黒澤明監督作品『用心棒』でのピント合わせで、黒沢さんをうならせたそうです。「大ちゃん」と呼ばれていた印象があるのですが、それは黒沢さんに呼ばれていたようです。何でもいっときはテレビによく出ていたそうですが、毒舌が不評で降ろされたとか。詳細は分かりませんが、そんな大口から実現した作品なのかも知れません。
開巻に重厚さを感じる作品は久しぶり、と思っていたら客席から「東映(配給)なんだ」の声が聞こえました。
せっかくの骨太な企画ですから(政府が語るのは骨抜きの方針)、東映縁故の実力派監督のツテを頼って、もうワンランク上を目指してじっくりと作ってもらいたかった気もしますが、「ちょっと、山登りは……」等の問題があったのかも知れません……
まあ東映としては将来、宮﨑あおいに「なめたらあかんぜよ!」等と言わせるため、極道の道への勧誘程度に考えているのかも知れません(これ怒られるかなぁ?)。
彼女がどアップの長いシーンがあるのですが、彼女の表情は揺るがない(自信に満ちている)まま続くので、頬に目が移り「あれは、できものか?」と無関係な部分に関心が向いていまうほど、魅入っておりました(褒め言葉のつもりです)。
舞台となる剣岳から「富士山が見えるんだ」(素晴らしい光景)という感慨はありましたし、原作者新田次郎の小説『富士山頂』へのオマージュであれば理解できるところですが、「富士山の姿はここからも素晴らしい」と、見せる必要性があるのだろうか? と疑問に思いました。
富士山は日本人の心の支えのひとつであり、本作は日本賛歌であるとの見解であれば反論はできませんが、ちと古いんじゃないだろうか……
「点の記」というものを知っている方は、ほとんどおられないでしょう。
山の頂上などに設置されている「三角点」(国内を網羅する位置情報を定めた標識)の石柱は、その地域に大規模な建造物等を造る工事等の位置情報(緯度・経度・高度等の座標情報)の「基準」とされます。
点の記(点とは三角点)には、その三角点設置の経緯および、日付、従事者名や、場所の詳細見取図等も含まれます。
測量業務においては、現場周辺にある三角点の点の記の写しを必ず持って出かけます。
見晴らしのいい山の頂上付近にあればいいのですが、現地の状況によっては見つけにくい場所にある場合もあるので、点の記は必需品になります。
映画の感想文の中でこんな事を書いては失礼になりますが、こういった題材を小説にしてきた新田次郎さんの心意気に、こちらの心が震わされる思いがしたので、再読してみたいと思っています。
TVCMではありませんが、現代の日本人が見失ってしまったものは、まだ新田さんの小説の中に息づいていると思います。
追記──原作を読みました。高校生時分だったか、新田次郎さんの本を読んでいた頃に感じた、山男たちのすがすがしさ、カッコ良さ、男らしさにあこがれた気持ちが、よみがえってきました。
原作の素晴らしさを感じながらも、読みながら映画の素晴らしい景色を思い起こしていました。
双方が混然となって、記憶に残っていくのだろうと思われました。
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