2007.02.17 どろろ
監督:塩田明彦
出演:妻夫木聡、柴咲コウ
不毛な会話。
A「参ったなぁ、これじゃまるで漫画の展開じゃないか!」
B「だったら、何を観に来たんだ?」
A「そりゃ、ブッキーとコウちゃんだよ」
B「で、どうだった?」
A「ブッキーはカッコ良かった」
B「コウちゃんは?」
A「いいコンビだと思うんだけど、彼女、あれだけしかできないと思われたら可哀想だよな」
B「それだけ?」
A「魔物をやっつけた時の、復活の儀式がよかった!」
B「気に入ってるんじゃん!」
A「でも、立ちまわりのCGは無理があるよね。やっぱ『雨あがる』だと思うなあ」
B「ほかは?」
A「ブッキー、コウちゃん、瑛太の競演はどこかで見た気がするけど、若い連中では上の部類という評価なんだろうね」
B「じゃあ、満足したんだろ?」
A「やっぱ、『ブラックジャックの診療所』ってのは、いくら手塚治虫でも書かなかっただろうなあ」
B「……」
P.S. スミマセン、何も書けませんでした……
2007/02/12
それでもボクはやってない
2007.02.12 それでもボクはやってない
監督:周防正行
出演:加瀬亮、役所広司
痴漢という切り口は非常に身近な問題であり、物的証拠が見いだしにくい犯罪であるから、余計な思い入れを排除した裁判のあり方を純粋なテーマに出来ると踏んだと思われるが、見る側はそんなことはもう百も承知である。
「裁判は真実を導くとは限らない」ことも百も承知だし、そのシステムが問題を抱え続けながらも解決できていないことも周知の事実だと思う。しかし「だから、あなた方も痴漢のぬれぎぬを着せられてしまうかも……」という説得の仕方は「犯人をでっち上げたい警察、検察、司法側の視点」なのではないだろうか?
現実の対策がおかしいことは百も承知で「女性専用車」「女性の近くには立たない」「万が一の場合は、万歳する」ことしか防衛策のない状況の中で、身の潔白を守っているのである。テーマをぶちあげて世論を高め、議論している猶予はないのである。明日にでも、災難が降りかかりかねない状況での生活を強いられている「それでもボクはやってない」われわれなのである。
身近な事件から問題意識を感じて欲しいとの狙いなら「痴漢撲滅運動」についてのテーマをぶちあげる方が、格段に説得力があると思えるのだが……(裁判というテーマも難しいが、痴漢撲滅も大儀だと思う)
テンポも良く、ユーモアも効いているのだが、このテーマの前には徒労でしかなかったという印象。上映時間の長さも「裁判進行のイライラ感」のために必要だったのか? としか思えなかった。
監督:周防正行
出演:加瀬亮、役所広司
痴漢という切り口は非常に身近な問題であり、物的証拠が見いだしにくい犯罪であるから、余計な思い入れを排除した裁判のあり方を純粋なテーマに出来ると踏んだと思われるが、見る側はそんなことはもう百も承知である。
「裁判は真実を導くとは限らない」ことも百も承知だし、そのシステムが問題を抱え続けながらも解決できていないことも周知の事実だと思う。しかし「だから、あなた方も痴漢のぬれぎぬを着せられてしまうかも……」という説得の仕方は「犯人をでっち上げたい警察、検察、司法側の視点」なのではないだろうか?
現実の対策がおかしいことは百も承知で「女性専用車」「女性の近くには立たない」「万が一の場合は、万歳する」ことしか防衛策のない状況の中で、身の潔白を守っているのである。テーマをぶちあげて世論を高め、議論している猶予はないのである。明日にでも、災難が降りかかりかねない状況での生活を強いられている「それでもボクはやってない」われわれなのである。
身近な事件から問題意識を感じて欲しいとの狙いなら「痴漢撲滅運動」についてのテーマをぶちあげる方が、格段に説得力があると思えるのだが……(裁判というテーマも難しいが、痴漢撲滅も大儀だと思う)
テンポも良く、ユーモアも効いているのだが、このテーマの前には徒労でしかなかったという印象。上映時間の長さも「裁判進行のイライラ感」のために必要だったのか? としか思えなかった。
2007/02/03
長い散歩
2007.01.27 長い散歩
監督:奥田瑛二
出演:緒方拳、高岡早紀
主人公(緒方拳)と家族(妻と娘)の状況や、「天使」である娘と母(高岡早紀)とその愛人たちが同様に抱える、年齢や状況を越えた「希薄な人間関係」「孤独感」についてじっくりと描くべきで、客観的視点としての刑事(奥田瑛二)の話しはいらないと思うばかりか、単に答えが見つからない言い訳としての「同情の強要」としか映らなかった。
制作者側が「こういうこと実際にあるんだよ、参ったよなぁ」などとケツをまくってしまってしまっては、観客はただ白けるしかないのではないだろうか?
ラストの閉塞感はハマッていると思うが、男とは、父親とは「飛び立たせること」「落ちてきたものをしっかり受け止めること」が出来たなら、それでよしとすべきなのだろうか?
それすら出来ないことが問題であるというテーマも、それを実現するために体を鍛えようとする思考回路も理解できるのだが、「参っちゃうよな」の声が聞こえてくるような気がして、「ため息つくくらいなら、映画なんて作るなよ」と言いたくなってしまった。
監督:奥田瑛二
出演:緒方拳、高岡早紀
主人公(緒方拳)と家族(妻と娘)の状況や、「天使」である娘と母(高岡早紀)とその愛人たちが同様に抱える、年齢や状況を越えた「希薄な人間関係」「孤独感」についてじっくりと描くべきで、客観的視点としての刑事(奥田瑛二)の話しはいらないと思うばかりか、単に答えが見つからない言い訳としての「同情の強要」としか映らなかった。
制作者側が「こういうこと実際にあるんだよ、参ったよなぁ」などとケツをまくってしまってしまっては、観客はただ白けるしかないのではないだろうか?
ラストの閉塞感はハマッていると思うが、男とは、父親とは「飛び立たせること」「落ちてきたものをしっかり受け止めること」が出来たなら、それでよしとすべきなのだろうか?
それすら出来ないことが問題であるというテーマも、それを実現するために体を鍛えようとする思考回路も理解できるのだが、「参っちゃうよな」の声が聞こえてくるような気がして、「ため息つくくらいなら、映画なんて作るなよ」と言いたくなってしまった。
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