監督:降旗康男
脚本:青島武
出演:高倉健、田中裕子、佐藤浩市、草なぎ剛、余貴美子、綾瀬はるか、大滝秀治、長塚京三、原田美枝子、浅野忠信、ビートたけし
近ごろは日本映画を観るたびに、さみしさばかりを感じてしまう。
映画と出会いのめり込み、四隅まで見逃さぬようかじり付いた銀幕(スクリーン)で活躍された方々もお年を召され、現役でおられる姿を「いとおしむように」拝見をすることが、申し訳ないというか悔しくてならない。
現に、大滝秀治・高倉健の共演はこの先も観られるだろうか? と思うと、胸が詰まる……
実に見事すぎる「健さん映画」(「寅さん映画」に通じる理解と同じ)で、「高倉健の背中」に何を、どう背負わせるべきなのかを脚本・演出は承知しているので、物語が進むにつれ「健さんの背中」は観る者の期待通り、寡黙ながらも語り始める。
キャストの配置と生かし方も見事で、出演者に名前を挙げた方々はもちろん全員素晴らしかったが、特に、若い綾瀬はるかの生かされ方は今後の自信になると思え、浅野忠信は物語を引き締めるポイントを作った印象として残る。
各所でCGと思われる絵が目についたが、それは故意にむかしの合成風な演出をしたように思えた(CGを使うも「アナログ映画」を作る自負なのか)。
勝手な想像だが、高倉健主演『八甲田山』(1977年)の撮影を担当した木村大作が、初の監督作品『劒岳 点の記』(2009年)をすべて実写撮影した事へのオマージュではないか? とも思える。
同作の演出を依頼された降旗監督は健康上の理由から断り、やむなく木村が自らメガホンを取り、高倉健も「もう八甲田山はできない」と語る。
実写にかなうものはない!(だが、われわれには実写にこだわる体力はない)との表現にも感じられる。
健さんの映画をあと何本観られるのだろうか?
劇場の予告編で目にした吉永小百合さんまでが、わたしの中の「銀幕のスタア」でありこの先はどうしたものかと……いま思うと、映画へのあこがれは、スタアだったり、才気あふれる先人への憧憬であったことを、この期に及んでようやく理解できた気がする。
その灯がひとつひとつ消えてしまう近ごろは、わたしの映画への情熱もひとつずつ失われていくように思えてならない……
「これが職人の造る映画だ!」の自負に敬服するも、ひょっとすると「もうこのような映画は観られなくなるのか?」という、現実が目前に迫っているような絶望感がある。
追記
NHKの「高倉健」ドキュメント番組2本を録画して、映画鑑賞後に目にした。
そこでは「役者 高倉健」としての覚悟が語られているだけに、今後も数多くの作品で出会いたい! と切に望むばかりである……