2012.7.10
監督・脚本:杉井ギサブロー
声の出演:小栗旬、忽那汐里、柄本明
原作の映画化には読後の解釈〜再構築が重要だが、こと宮沢賢治作品には解釈を限定しない自由な発想が許されるため、他人の中傷から解放された「思いの丈」が表現される楽しみがある。
それゆえ賢治に対する多くの「解釈」に接したいとの思いから、「宮沢賢治」の名前だけでもアンテナが反応するのだろう。
宮沢賢治作品を起源とする「ワンダーワールド」には「正しい」「間違い」ではなく、「好き」「嫌い」と反応するはずが、わたしは久しぶりに何度もグッスリ眠る「夢見心地」となった。
睡魔に襲われる瞬間、以前の『銀河鉄道の夜:1985年(27年前!?)』も同様だったか? の記憶をたどりながら……
賢治の世界観に身を委ね悦楽を感じる者には、提示された世界を「新しい作品を読む」かのような情報源と感じる瞬間がある(未見だが『銀河鉄道999』にも刺激があったのか?)。
「踏み台とせよ!」の意志が伝わるからこそ、そこに新たなイマジネーションが生まれ、連鎖の種子となるのであろう。
「偉人」と思える賢治に身近さを覚えるのは、教師・指導員の経験による「語りかけ」と感じるからかも知れない……
前作同様「猫」のキャラクターに魅力はあるが、それ以外の造形(キャラクターと演出)に対しては、稚拙・安易すぎる印象を受けた(本作に対する感想はここだけ)。
タップリ寝たくせに悪い印象が残らないのは、宮沢賢治の世界に浸りながら夢が見られたことによるのだろう。
追記
ここで書くことではないが、
「グスコーブドリとはブドリという鳥の仲間で……」
というジョークが、頭から離れなかった……