2010.11.23
監督・脚本:ウニー・ルコント
出演:キム・セロン、ソル・ギョング
韓国・フランス映画
父親に捨てられてしまう少女の物語。フランス人監督の経験から生まれた脚本を韓国人監督が気に入り、プロデュースを買って出て映画化された。
父親によって孤児院(児童養護施設と表現すべきらしいがあえて)に置き去りにされた少女にとって、父の行為を理解し自分の置かれた状況を受け入れるまでには、気が狂わんばかりの苦悩と長い時間が必要であろう。
それを受け入れられず、ただ父の迎えを待つつもりの少女としてみれば、突然閉じこめられた施設での生活など関心すらないのだが、待ち続ける日々が積み重なるにつれ、待つために生きていくことの必要性を感じ始めていく。
よく「心の機微をとらえる」というが、幸いにしてそんな経験のないわたしには理解できないものの、思い当たる経験のある方には身につまされる描写の数々なのかも知れない。
加えて無用な感情移入を拒むかのように、主人公のアクションは極力押さえられるため、主人公の心情を客観的に観ることが強いられる。
そのかたくなさは、少女が置かれた状況をすべて受け入れ、養女として引き取られ「生きていく」ことを、自らの意志で決めた時に起こす唯一のアクションに収れんされる。
けなげさがあまりにも痛々しい「笑顔」というアクションには、観る者を突き放す彼女の苦悩が込められている。
それ以外のアクションに、主人公の孤独感を伝える手段はない、という演出者の強い意志の表れかも知れない。
物語が終わっても結局ボールはこちらに投げられず、主人公が背負ったままとなるので、われわれには、彼女の重荷が少しでも軽くなるよう祈ることしか与えられない。
「いつか彼女の心に希望の光がともりますように」と……
──この印象は、フランソワ・トリュフォー監督『大人は判ってくれない』(1959年)を観終えて感じたものに似ている。
出来として成功とは思えないものの、映画館の看板(岩波ホール)や宣伝に使われた少女(ジニ)の悲しげな表情は、鑑賞後の余韻の方が強く残る印象があり、『ミツバチのささやき』の「アナ」のようにこの先も忘れられなくなるかも知れない……