2020/02/17

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け

2020.2.8

監督:J・J・エイブラムス
脚本:クリス・テリオ
音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:デイジー・リドリー、マーク・ハミル、キャリー・フィッシャー、ハリソン・フォード

 42年を要したジェダイの物語は、ライトセーバーの封印により幕を閉じます。
 ストーリーとして納得でき、ある程度の充足感を得られたが、それ以上に物語が完結した感慨のため、作品に対する感想に至れません。
 撮影途中に亡くなったキャリー・フィッシャー最後の姿、オビ=ワン・ケノービ役のアレック・ギネスの年齢を超えたマーク・ハミルの姿、どうしても登場して欲しかったハリソン・フォードの姿(エンドロールに名前がない!)が揃ってこそのスター・ウォーズ。彼らは年齢を重ね説得力を持つ姿で、若い世代に未来を託す立場として登場し、現在の彼らにしか表現できない世界観(台本段階のイメージを超えたであろう)を、体現している。
 第1作と出会ったのは高校時分で、青春時代はもちろん「long time ago…」、働き盛りで主役の自負を持てた時代も過ぎたとすれば、次世代のサポートを躊躇することなかれと、語りかけられるように。
 これほど重く感じる映画の終幕は初めてだが、本シリーズと同じ時間を共有できたことに感謝するためにも、自分にとっての新たな夜明けを探さねばと……

2019/12/01

最高の人生の見つけ方

2019.11.23

 監督:犬童一心
 出演:吉永小百合、天海祐希

 余命宣告された二人の女性が、死ぬ前にやり残したことを実現しようと冒険に出るストーリー。
 吉永小百合、天海祐希が持つキャラクターのコントラストはかなり極端なので、激突したらこれまでにない化学反応が起こるかもしれない、との期待は大きかった。
 しかし、吉永小百合を突き破ることが天海祐希の魅力と我に返れば、両雄並び立たない(引き立て役になれない)ことは明白だったと。
 そんな二人を同時に輝かせる方法はあるはずと思うので、もう少しじっくりと物語を練ってもらいたかった……



2019/11/28

真実

2019.11.16

 監督・脚本:是枝裕和
 出演:カトリーヌ・ドヌーブ、ジュリエット・ビノシュ、イーサン・ホーク

 カトリーヌ・ドヌーブが女優を続けるのは、シモーヌ・シニョレを目指すためではないか(リアルタイムで観た『これからの人生』 (1977年)が心に残る)。そしてジュリエット・ビノシュも、それに続こうとしているようにも。
 カトリーヌ・ドヌーブの相手により変化する演技は、「これが役者の醍醐味」と楽しんでいるかのようで、ジュリエット・ビノシュも、その演技に対峙することを喜んでいるように見え、久しぶりに演技から目を離せない作品だったと。

 真実(心)とは、表現した瞬間から、周囲(家族であっても)に虚構と受け止められることを恐れ、揺れる「心のあり様」ではないかと。
 夫婦、親子でも踏み入ることはできないし、周囲に決して見せることができない心の姿が、「真実」の正体と言えるかもしれない。

 フランス映画の空気感を表現した是枝さんの脚本は、周囲の協力を得たとしても見事だし、演出にもフランス映画的な落ち着きが感じられ、カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)に値する作品と受け止めます。
 日本のエースが、世界のエースの一員として認められたことを契機に、さらに飛躍されることを楽しみにしています。

2018/07/23

万引き家族

2018.7.7

 監督・脚本:是枝裕和
 出演:リリー・フランキー、安藤サクラ、城 桧吏(かいり)、佐々木みゆ、松岡茉優、樹木希林

 「家族を自分で選べるのか?」との問いかけは、家族崩壊の危機感から生まれるらしいが、選べることができたとしてもそれは疑似家族でしかない。その関係性は、つなぎ止める接点が脆弱なため揺らいだ途端に崩壊してしまうが、本来の家族(血のつながりの有無に関わらず)でも、構成員が守ろうとする意識を持たなければ、あっけなく崩壊するかも知れない。
 本来の家族関係に居場所を失った連中が肩を寄せ合う疑似家族は、食べることで精一杯ながらも、家族生活のように振る舞える環境を共有し、家族の連帯感を手に入れたとの幻想を抱く。
 しかし、複数の名前を演じ分ける娘や、勝手に連れ帰った女の子の名前を聞き間違え、ペットのように勝手に命名するなど、愛情に欠ける無責任な行動からほころんでゆく。

 これまでのリリー・フランキーは役者に片足を入れただけに見えたが、彼自身の生い立ちが見え隠れするような役を演じ、役者としての幅が広がったように。
 安藤サクラは文句のつけようがなく、取調室で涙を拭う長いシーンは心に残るし、今後あれだけのシーンを演じる機会はないのでは。
 城 桧吏は、映画『誰も知らない』(2004年)の柳楽優弥を想起させ、今後が楽しみ。
 海水浴場面の樹木希林の横顔から、笠智衆さんを想起した。TV『寺内貫太郎一家』(西城秀樹の「汚ねーな、ばあちゃん!」)以来、老け役を幾度も目にしたが、本物のばあちゃんになったと(笠さんも老け役を演じ続け老人となった)。

 カンヌ国際映画祭 パルムドール受賞に賛辞を贈ります! が、それは他人の評価。
 私にとっては前作『三度目の殺人』が消化不良だったこともあり、是枝監督の家族を描く作品を渇望していた心にしみ込んだことが、最大のよろこびと。

2018/05/07

北の桜守

2018.4.1

 監督:滝田洋二郎
 脚本:那須真知子
 出演:吉永小百合、堺 雅人、阿部 寛、佐藤浩市、岸部一徳

 終戦を樺太で迎えた家族だが、ロシアの侵攻から生活を守るため戦いに向かう父親と、戦渦から逃れるため北海道へ向かう母子(息子2人)が別れ別れになり、母(吉永)と次男(堺)は癒しがたい記憶を背負いながら、たくましく生き抜く物語。

 当時の状況が過酷すぎるため、吉永さんに求められるものは限られるようで、息子(堺)の経験談を軸に展開する流れは、堺の過剰な演技もあり、吉永さんの演技に期待を抱く者には物足りなさが残る。
 彼女に遠慮しているように感じられ、たとえはしたない場面があったとしても、もっと彼女を全面に出すべきではなかったか。

 勝手な考えだが、網走までたどり着いた道のりを、映画『砂の器』のように四季を織り交ぜた北海道の自然を背景に描けたなら、ラストの無念さが増幅され、観る者に迫ってきたのではないかと。
 観る側がそんなストレスを感じるのは、狙いに弱さがあったためとも。

 吉永小百合を囲む「映画友の会」のように共演陣が集合し、見守るだけのラストは、いくら「吉永小百合映画」としても、観る者を軽視し過ぎではないか。

2018/02/26

スター・ウォーズ/最後のジェダイ

2018.2.10

 監督:ライアン・ジョンソン
 出演:デイジー・リドリー、ジョン・ボヤーガ、アダム・ドライバー、マーク・ハミル、キャリー・フィッシャー

 エピソード Ⅰ〜Ⅲでは父親(ダース・ベイダー/アナキン・スカイウォーカー)の世代、エピソード Ⅳ〜Ⅵでは子ども(ルーク・スカイウォーカー、レイア・オーガナ)の世代を描き、エピソードⅦ〜Ⅸでは、現在のところ血縁者ではない若者(レイ、フィン)の世代が、ジェダイではなくてもフォースを身につけられる可能性を示そうとする。
 全シリーズを通して、時の流れと共に意識が変遷する「時間を描く物語」とすると、世代をまたいだ長大な時間が必要だったことも理解できる。

 不安を受け止められるレイの姿には、light(光を放つ太陽のような希望)vs dark(光を吸収するブラックホールのような恐怖)として描かれてきた、ジェダイとシスの関係を超えた精神性の存在が託され、light vs darkの葛藤を制した先に、劇中で語られる「バランス」を持ち合わせた強い精神が生まれることを暗示する。
 そこから、フォースの象徴的存在である「ヨーダ」の造形こそ、全シリーズを通したテーマであると気付くことに。
 現存するように描かれてきたが、彼の存在は心象の投影(R2-D2が投影するホログラムのよう)であり、心が生み出す理性(フォース)が擬人化(人?)された存在ではないかと。レジェンドとなったルークの肉体は失われても、慕う人々の心には、オビ=ワン・ケノービ、ダース・ベイダー(アナキン・スカイウォーカー)同様に生き続け、フォースを導き続けるのであろう。

 本作では、大半の労力が輪郭をあいまいにした背景提示と、その肉付けに費やされたため、活劇としての躍動感が欠けてしまった。
 魅力的な人物が不在である(悪役が強くない)ことが、バランスの均衡を取り戻しつつあるとの表現としたら、娯楽作として道を誤っている。カイロ・レンを悪役にしたくない伏線が見える気がしたのは、最終作への準備のようにも。

 懐かしい面々との再会もつかの間で、前作でハン・ソロ(ハリソン・フォード)、本作でルーク(マーク・ハミル)が姿を消し、不本意ながらも実生活でキャリー・フィッシャー(レイア・オーガナ)が亡くなりました。
 全シリーズ最終作となる次作は、新しい世代に託されることとなり、どんな希望が描かれるのか楽しみにしたい。
 「In loving memory of our princess, Carrie Fisher.」の追悼文は、次作の着地点がSTAR WARSシリーズを作り続けてきた原動力なのだから、「キャリーにも必ず届けるよ!」の誓いのように響く。

2018/01/15

花筐/HANAGATAMI

2018.1.4

 監督:大林宣彦
 脚本:大林宣彦、桂千穂
 出演:窪塚俊介、満島真之介、長塚圭史、常盤貴子

 戦前に発表された檀一雄『花筐:1937年』を、1938年生まれの大林監督が映画化した作品。
 戦争が迫る時代に、自らの命をまっとうしたいともがいた若者たちの姿は、近い将来ミサイル飛来が差し迫った際の、われわれの姿に重なるかも知れない。
 当時は不治とされた胸の病は、現在では医学の進歩により完治可能となったが、戦争で死にたくない若者を救う手だては、戦後70年を経過した現在でも確立されていない。
 戦争を経験した人々の「不戦の誓い」が揺らぎそうな現在に、あきらめてはいけないと訴える先達たちからのメッセージ
 「君たちも、戦争で死にたくないだろ?」
に、異論を唱える者はいない。

 近ごろは、リアルさにこそ説得力があるとの風潮からか、エグい絵をよく目にするが、ベテラン監督は対極の比喩的表現の中で、あえて「血」をモチーフに用いている。
 何度も登場する「血」のイメージは、命・生命力の表現であり、監督自身の活力=血潮の意味と受け止めた。
 コマ落とし、合成、反転、回転等々の演出に、いまも取り組もうとする意欲に敬服し、三つ子の魂を百まで持ち続けるであろう、少年の心に拍手を送りたい。
 映画が好きで好きで仕方ない、心根が変わらない大林映画の集大成のように映った。